目次
はじめに
近年、中小企業の経営者にとって社会保険料の負担は年々重くなり、経営を圧迫する要因の一つとなっています。特に役員報酬が高額になればなるほど、その負担は無視できない規模となります。そうした中で注目を集めているのが、事前確定届出給与を活用した社会保険料削減スキームです。
事前確定届出給与とは何か
事前確定届出給与とは、会社が役員に対してあらかじめ賞与の額と支払時期を確定し、税務署に届出して支給する賞与のことです。この制度は、役員賞与の利益操作を防ぐ目的で設けられたものですが、あらかじめ賞与額を届出ているため利益操作の余地がなく、適切に手続きを行えば損金算入が認められます。
従来、役員賞与は原則として損金算入できませんでしたが、この事前確定届出給与制度により、一定の条件を満たせば税務上の経費として認められるようになりました。これにより、企業は計画的な役員への報酬支給が可能となり、同時に節税効果も期待できる仕組みが整ったのです。
社会保険料削減の基本的な仕組み
社会保険料削減が可能となる理由は、所得税や住民税と異なり、社会保険料には上限が設けられていることにあります。社会保険料は通常、毎月支払われる給与(標準報酬月額)に基づいて計算されますが、事前確定届出給与は賞与として扱われ、標準賞与額という別の基準で計算されるのです。
具体的には、健康保険と厚生年金保険では賞与にかかる社会保険料の上限額が定められており、令和6年の愛知県の場合、健康保険が年間573万円、厚生年金保険が1回あたり150万円となっています。この上限を活用して、毎月の給与を抑えてその分を賞与として支給することにより、社会保険料の大幅な削減が実現できるのです。
現在の規制動向と社会情勢
しかし、令和6年11月21日の厚生労働省第186回社会保障審議会医療保険部会において、この削減スキームを問題視する動きが表面化しました。標準報酬月額が30万円以下であるにもかかわらず標準賞与額の上限に該当する被保険者が、令和2年から令和5年の間で約1.6倍に増加していることが指摘されたのです。
この状況を受けて、今後は賞与にかかる社会保険料の上限額が引き上げられる可能性があり、現行の節税対策スキームが困難になっていく見通しです。社会保険制度の隙間を利用したこの手法は、社会保険料の適正な負担の観点から推奨されておらず、今後の規制を視野に入れた役員報酬の改定が必要になる可能性が高まっています。
事前確定届出給与による社会保険料削減の具体的な仕組み

事前確定届出給与を活用した社会保険料削減は、社会保険制度の構造的な特徴を利用したものです。ここでは、その具体的な仕組みと計算方法について詳しく解説していきます。削減効果を理解するためには、まず社会保険料の計算方法と上限額の違いを把握することが重要です。
標準報酬月額と標準賞与額の違い
社会保険料の計算において、毎月の給与と賞与では適用される基準が異なります。毎月の給与は「標準報酬月額」として扱われ、この金額に保険料率を乗じて社会保険料が算定されます。一方、賞与は「標準賞与額」として別途計算され、それぞれに異なる上限が設けられているのです。
健康保険料では、定期同額給与の場合は毎月の報酬の約10%で年間1,668万円が上限となりますが、事前確定届出給与では年間573万円が上限となります。また、厚生年金保険料は定期同額給与の場合、毎月の報酬の18.3%で年間780万円が上限ですが、事前確定届出給与では月間150万円(年間1,800万円)が上限です。この上限の違いを活用することで、社会保険料の削減が可能となります。
具体的な削減効果のシミュレーション
年収1,200万円の役員を例に、具体的な削減効果を見てみましょう。毎月100万円の定期同額給与で支給した場合、年間の社会保険料は約260万円となります。しかし、毎月の報酬を10万円に抑え、残りの1,080万円を事前確定届出給与として支給した場合、年間の社会保険料は約85万円まで削減され、約175万円もの節約が実現できます。
さらに高額な年収1,800万円の役員の場合を見ると、毎月報酬100万円・年1回賞与1,680万円の支給形態では年額約130万円の社会保険負担となります。これを毎月報酬1,500万円・賞与0円の場合の約337万円と比較すると、年間約207万円という大幅な節約効果が期待できるのです。このように、年収が高くなればなるほど、削減効果も大きくなる傾向があります。
上限額を活用した最適化戦略
効果的な社会保険料削減を実現するためには、健康保険と厚生年金保険のそれぞれの上限額を理解し、最適な配分を計画することが重要です。健康保険の標準賞与額上限は年間573万円、厚生年金保険は1回あたり150万円という制限を踏まえ、これらの上限を超えた部分には社会保険料がかからないことを活用します。
ただし、極端な削減策は推奨されません。毎月の役員報酬を著しく下げて役員賞与を多額にするという極端なやり方は、金額設定の根拠を合理的に説明することが困難になるほか、役員退職金の計算基礎となる報酬月額が減少して将来の役員退職金が減ってしまうなど、複数のデメリットが生じるためです。バランスの取れた設計が求められます。
実際の手続きと注意点

事前確定届出給与を活用するためには、厳格な手続きとタイミングの管理が必要です。わずかな手続きミスや期限の遅れが、すべての節税効果を無効にしてしまう可能性があるため、正確な理解と実行が求められます。ここでは、具体的な手続きの流れと重要な注意点について詳しく解説します。
株主総会での決議と届出書の提出
事前確定届出給与を実施するには、まず株主総会で支給日と金額を正式に決定する必要があります。この決議は、具体的な支給額と支給日を明確に定めるもので、曖昧な表現は認められません。決議後は、決議日から1ヶ月以内という厳格な期限内に、「事前確定届出給与に関する届出書」を税務署に提出しなければなりません。
届出書には、支給を受ける役員の氏名、支給時期、支給予定額などを詳細に記載する必要があります。この届出内容は後に変更することができないため、慎重な検討が必要です。また、提出期限を過ぎてしまうと、たとえ賞与を支給しても損金算入が一切認められなくなり、税務上の恩恵を受けることができなくなります。
支給時の厳格な管理要件
事前確定届出給与の最も重要な特徴は、届け出た内容と完全に一致した支給を行わなければならないという点です。支給日については1日、支給額については1円でもずれると、その年度の支給額全額が損金算入できなくなってしまいます。この「オール・オア・ナッシング」の性質により、極めて厳密な管理が求められます。
万が一、業績悪化などの理由で支給が困難になった場合は、支給日前に取締役会で全額不支給の決議を行い、役員から受領辞退書を受領する必要があります。これらの対応を怠ると、実際には支給していなくても課税されてしまうリスクがあります。そのため、決算前の支給とすることで、業績や資金繰りの状況に応じて支給の可否を柔軟に判断できるような設計が推奨されています。
適正金額の設定基準
事前確定届出給与を提出していても、役員賞与が社会通念上不当に高額であれば損金算入が認められません。適正な金額設定のためには、役員の職務内容、企業の収益状況、従業員の給与支払い状況などを総合的に判断し、合理的な根拠を説明できる範囲内で設定することが必要です。
特に注意すべきは、税務調査時における説明責任です。極端に月額報酬を低く設定し、高額な賞与を支給する場合、その合理的な理由を税務当局に対して明確に説明できなければなりません。業績連動の要素がない固定額での支給である以上、その金額設定には客観的な妥当性が求められます。従業員賞与とのバランスや、同業他社との比較なども考慮要素となるでしょう。
メリットとデメリットの総合的な検討

事前確定届出給与による社会保険料削減は、確かに大きな経済的メリットをもたらす可能性がありますが、同時に様々なデメリットやリスクも存在します。経営判断を行う際には、短期的な節約効果だけでなく、長期的な影響や潜在的なリスクを総合的に評価することが重要です。
経済的メリットと節税効果
事前確定届出給与による最も直接的なメリットは、社会保険料の大幅な削減効果です。年収1,200万円クラスの役員であれば、年間100万円以上の社会保険料削減が期待でき、法人負担分と合わせると200万円を超える削減効果が生まれることもあります。この削減効果は、企業のキャッシュフローを大幅に改善し、その資金を設備投資や事業拡大に回すことができます。
また、支給額は損金算入が認められるため、法人税の節税効果も期待できます。特に利益が出ている企業にとっては、役員への適正な報酬支給と同時に税務上のメリットを享受できる有効な手段となります。さらに、計画的な資金支出により、決算対策としても活用できる側面があります。
将来的なリスクと潜在的デメリット
一方で、事前確定届出給与には重大なデメリットも存在します。最も深刻な問題の一つが、将来の役員退職金への影響です。役員退職金の損金算入限度額は「最終月額給与×勤続年数×功績倍率」で計算され、賞与は含まれません。そのため、月額報酬を極端に低く設定すると、将来の退職金支給時に損金算入できる金額が大幅に減少してしまいます。
さらに、社会保険料の削減は将来受け取る年金額の減少につながります。厚生年金の給付額は、現役時代の報酬に比例するため、標準報酬月額を低く抑えることで、将来の年金受給額も相応に減少することになります。また、傷病手当金や出産手当金などの各種手当金も、標準報酬月額に基づいて計算されるため、これらの給付額も減額される可能性があります。
規制強化のリスクと今後の展望
近年、厚生労働省はこの社会保険料削減スキームを問題視しており、今後の規制強化が予想されます。標準報酬月額が低いにもかかわらず高額な賞与を受給するケースが急増していることから、制度の見直しが検討される可能性が高まっています。具体的には、賞与にかかる社会保険料の上限額引き上げや、極端な報酬設定に対する制限措置などが議論されています。
また、税務調査や年金事務所による調査において、不適切な処理と判断されるリスクも存在します。特に、合理的な理由なく極端な報酬設定を行っている場合、社会保険制度の趣旨に反する行為として指摘を受ける可能性があります。このようなリスクを考慮すると、過度に攻撃的な節税策は避け、適正な範囲内での活用を心がけることが重要です。企業型確定拠出年金などの他の節税手段との比較検討も含め、総合的な判断が求められるでしょう。
まとめ
事前確定届出給与を活用した社会保険料削減は、適切に実行すれば大きな経済効果をもたらす有効な手段です。年収が高い役員ほど削減効果は大きく、年間100万円を超える社会保険料の節約が可能となるケースもあります。しかし、この制度を活用する際には、厳格な手続きの遵守、適正な金額設定、そして将来的なリスクの十分な検討が不可欠です。
特に重要なのは、短期的な節約効果だけでなく、役員退職金への影響、将来の年金受給額の減少、規制強化のリスクなどを総合的に評価することです。また、厚生労働省による規制強化の動きもあり、今後はより慎重な判断が求められるでしょう。事前確定届出給与の導入を検討する際は、専門家である税理士に相談し、自社の状況に最適な設計を行うことを強く推奨します。適正な範囲での活用により、企業経営の効率化と税務リスクの最小化を両立させることが可能となるのです。
よくある質問
事前確定届出給与とは何ですか?
会社が役員に対してあらかじめ賞与の額と支払時期を確定し、税務署に届出して支給する賞与のことです。利益操作の防止を目的とした制度で、適切に手続きを行えば損金算入が認められます。従来、役員賞与は原則として損金算入できませんでしたが、この制度により一定の条件を満たせば税務上の経費として認められるようになりました。
社会保険料削減が可能な理由は何ですか?
社会保険料には上限が設けられていることが理由です。健康保険と厚生年金保険では賞与にかかる社会保険料の上限額が定められており、毎月の給与を抑えてその分を賞与として支給することで、これらの上限を活用して社会保険料の大幅な削減が実現できます。
事前確定届出給与を活用する際の重要な注意点は何ですか?
株主総会での決議から1ヶ月以内に税務署に届出書を提出することが必須で、届出内容と完全に一致した支給が求められます。支給日や支給額が1円でもずれるとその年度の支給額全額が損金算入できなくなるという「オール・オア・ナッシング」の性質があり、極めて厳密な管理が必要です。
この制度の主なデメリットは何ですか?
将来の役員退職金への影響と年金受給額の減少が主なデメリットです。退職金は月額報酬に基づいて計算されるため、月額報酬を低く設定すると将来の損金算入限度額が減少し、厚生年金の給付額も標準報酬月額に比例するため減少します。さらに、厚生労働省による規制強化が予想されており、将来的なリスクも存在します。
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